20年間の比叡山での修行生活をやめ、山から降りられた親鸞聖人は法然上人のところへ向かいます。
親鸞聖人が六角堂で夢告を受け、法然上人のもとへ向かったのは建仁元年(1201)のことです。
親鸞聖人のご生涯第4章では親鸞聖人の100日間に渡る六角堂への参籠の様子と生涯の師として仰ぐ法然上人との出遇いを紹介します。
六角堂への100日間の参籠
六角堂への参籠の様子は親鸞聖人の伴侶である
少し長くなりますので、意訳で引用したいと思います。
比叡山を降りた親鸞聖人は、六角堂に100日間の参籠をはじめて、迷いを超える救いの道をたずねようとなさいました。
すると95日目の夜明けごろ、聖徳太子さまの夢のお告げを授かりました。
やがて夜が明けると救いのご縁に遇おうとなさって、法然上人のもとへ向かわれました。
六角堂へ100日間参籠しようとしたのと同じように、100日の間、雨が降ろうと強い日差しにあおうと、何事があろうとも法然上人のもとへ通い続けました。
『恵信尼消息』筆者意訳
六角堂に100日間籠もり、その後さらに法然上人のもとへ100日間通い続けた親鸞聖人。
真剣に救いの道を求めていた姿がうかがえます。
六角堂に参籠して95日目の夜明け前、親鸞聖人は観音菩薩の
先ほどの恵信尼さまのお手紙には聖徳太子さまの夢告と書かれています。
中世では聖徳太子さまの
行者宿報設女犯 我成玉女身被犯
一生之間能荘厳 臨終引導生極楽 (行者よ。あなたが宿縁によって女犯を行ったとしても、私が妻となってその
『親鸞伝絵』(筆者意訳)咎 を引き受けましょう。あなたを生涯のあいだ仏法で包み込み、臨終の際には必ずお浄土へ導きます。)
夢告の
観音菩薩が「私が親鸞の妻になりましょう」と告げられたのです。
当時、女犯への戒めから僧侶は妻帯を禁じられていました。
しかし、縁によってもし戒を破ったとしても仏さまは見捨てないというお告げを受けたのです。
このお告げは親鸞聖人の個人的な問題を解決するだけでなく、一般の民衆をも救いの対象であることを意味します。
『在家にあって妻をめとっていたとしても、本願念仏ひとつで往生できる。』
修行生活を送ることのできない民衆も、お念仏によって往生できることを保証するメッセージだったのです。
法然上人のもとへ向かった親鸞聖人
法然上人が京の町中で本願念仏の道を説き始めてから20年ほどたっていました。
法然上人のもとへは僧侶だけではなく、さまざまな立場の人たちが集っておったのじゃ
在家での生活を送る者にも、多くの念仏者が生まれていたことでしょう。
親鸞聖人が法然上人のもとへ向かったのは、この在家念仏者のことがあったからではないかと想像します。
法然上人にこのようなお言葉があります。
この世の過ごし方は、お念仏を申せるように過ごしなさい。
お念仏のさまたげになるようであれば、さまたげになるものを捨てて、お念仏一つをとどめるようにしなさい。
独身の聖(ひじり)としてお念仏が申せないようであれば、妻をめとってお念仏を申しなさい。
妻をめとってお念仏が申せないならば、聖として独身を貫いてお念仏を申しなさい。
「禅勝房伝説の詞」筆者意訳
六角堂で「妻をめとっても必ずお浄土へ導く」という夢告をいただいた親鸞聖人。
その夢告の内容と法然上人のお言葉が重なってきます。
ここに機縁が熟したのでありましょう。
親鸞聖人は100日の間、雨が降ろうと強い日差しにあおうと、何事があろうとも法然上人のもとへ通い続けました。
そして「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」という法然上人のお言葉に出遇われました。
親鸞聖人は後に、この年のできごとを
建仁辛酉の暦(1201年)、雑行を棄てて本願に帰す。(『教行信証』後序)
と力強い言葉で振り返っておられます。
法然上人との出遇いは本願念仏との出遇いであったのです。
私が仏の願いを聞く身となる
親鸞聖人は法然上人のもとで阿弥陀さまの本願に帰依されました。
本願というのは「生きとし生けるものを救わずにはおれん」という阿弥陀さまの願いです。
本願に帰依したというのは、その大きな願いを聞いたということです。
ここに、今までの生き方が大転換されました。
懸命に学問をし、厳しい修行に打ち込む姿。
これは私の方から仏へ近づこうとする試みでしょう。
「私から仏へ」という方向が見えます。
それに対して、阿弥陀さまの本願を聞く姿。
これは阿弥陀さまの方からすでに願われていたことへの目覚めでしょう。
「仏から私へ」という方向です。
阿弥陀さまは自分の力では悟りを開けない者をこそ救いたかった。
実はこの私こそが阿弥陀さまの救いのお目当てであった。
ここに阿弥陀さまの願いに生かされて生きる在り方を教えられました。
そして、そのことに深い感動と喜びをいただかれたのです。
私たちもさまざまな願いを持って生きています。
願いがあるということは、人間として幸せなことでもありましょう。
しかし、自分の願いを中心とするばかりでは、時に自己中心的な暴走を起こしてしまいます。
そして、願われている身を忘れてしまうことも起ってきます。
阿弥陀さまに願われている我が身に目覚める。
それは色んな方々の願いに育まれた私に気づく道でもあるような気がします。
合掌
さて、続いて親鸞聖人のご生涯第5章では人生の師となる法然上人の元で過ごされた、吉水時代の親鸞聖人のご様子を紹介いたします。
- 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』本願寺出版社 2004年
- 『真宗史料集成 第7巻』同朋舎出版 1983年。
- 『昭和新修 法然上人全集』石井教道編 平楽寺書店 2004年 第6刷。
- 『親鸞』赤松俊秀著 吉川弘文館 2000年 新装版第8刷。
- 『親鸞』平松令三著 吉川弘文館 1998年。
この記事を書いた人
香川県在住の真宗興正派僧侶。本山布教使。
ゆっくりとやわらかな口調のお話で、お念仏の教えと身近な話題とのつながりがわかりやすいと評判。
比叡山での修行をやめて山を降りたあと、六角堂へ100日間の参籠 をはじめたのじゃ。