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【第12章】弘長2年11月28日親鸞聖人がご往生。聖人の遺徳を讃える4つの廟所を紹介【千葉憲文師】

親鸞聖人しんらんしょうにんのご生涯をおたずねするコラムもいよいよ最後の章となりました。

最終章は親鸞聖人のご往生のようすをおたずねしていきたいと思います。

承安しょうあん3年(1173)に日野の地に生まれた親鸞聖人

ご往生は弘長こうちょう2年(1262)のことでした。

親鸞聖人の90年の生涯を日本史年表に照らし合わせると、なんと36もの元号にであっておられます。

病いの床につく親鸞聖人

親鸞聖人は85歳のお手紙にご自分の様子をこのように記しています。

目もうすくなってまいりました。

なにごとも忘れてしまいました上に、他人さまにはっきりと申し上げることのできる身でもございません。

筆者意訳「閏3月3日付ご消息」より

だんだんと目が見えづらくなり、記憶におとろえを感じておられたということです。

現代では85歳という年齢はそれほど珍しくなくなりました。

しかし、鎌倉時代の平均寿命はその半分ほどといわれます。

当時の感覚ではかなりのご高齢と感じたことでしょう。

いつの時代でも加齢による体力のおとろえからは逃れられません。

親鸞聖人もだんだんと体が弱ってきたようです。

それから5年後の弘長こうちょう2年、90歳のこと。

親鸞伝絵しんらんでんね』にはご様子が次のように描かれています。

弘長二歳こうちょうにさい壬戌みずのえいぬ仲冬ちゅうとう下旬のこうより、いささか不例ふれいますます。

それよりこのかた、口に世事せいじをまじへず、ただ仏恩ぶっとんの深きことをのぶ。

もつぱら称名しょうみょうたゆることなし。

仲冬ちゅうとう」というのは冬(10、11、12月)の真ん中という意味です。

「下旬」はその月を10日ずつ上中下に分けた最後という意味になります。

11月20日ごろから少々病気がちになられました。

体力がおとろえ、ご病気にかかったのでしょう。

親鸞聖人

病床ではご恩に感謝するお念仏がでてきたんじゃ

病床ではただ仏さまのご恩の深さを語っておられたそうです。

90年の生涯では戦乱という人災にわれました。

地震や台風、疫病えきびょうなどの自然災害にも遭われました。

比叡山ひえいざんを降りた時の苦悩、慣れない土地での生活。

晩年ばんねんには門弟や息子慈信房じしんぼうのことに心を痛めました。

かずかずの苦難くなんがあったはずです。

しかし、親鸞聖人の口からはグチではなくお念仏がこぼれてきました。

そのお姿に人間の抱える苦悩を超える道を感じます。

仏教では人間の逃れられない苦しみが四苦しくとあらわされています。

四苦
  • 生…思い通りにならない生の苦しみ
  • 老…老いを重ねる苦しみ
  • 病…病から逃れられない苦しみ
  • 死…死という経験したことのないことがおとずれる苦しみ

これらの苦しみからは誰も逃れられません。

それにも関わらず、親鸞聖人にはご恩に感謝するすがたがあらわれたのです。

生まれてきて苦しみの中にグチばかりこぼして人生を終えるのか?

それともご恩や感謝のこころをたまわって人生を終えるのか?

本願念仏ほんがんねんぶつの道は後者の生き方を教えてくれるようです。

11月28日のご往生

親鸞聖人

自分でいうのも変じゃけど・・・

11月28日が命日なんじゃよ

『親鸞伝絵』の続きをみていきましょう。

しかうしておなじき第八日だいはちにち午時うまのとき頭北面西ずほくめんさい右脇うきょうにふしたまひて、つひに念仏のいきたえおはりぬ。

ときに頽齢たいれい九旬きゅうしゅんにみちたまふ。

下旬の第8日というのが11月28日です。

その日の正午ごろ、親鸞聖人は数え年で90歳でご往生なさったとあります。

この11月28日は旧暦による日にちです。

新暦になおすと1月16日ごろになります。

浄土真宗では親鸞聖人のご命日めいにちの法要を「報恩講ほうおんこう」とよびます。

各派のご本山ほんざんでは毎年ご命日にあわせて大きな法要が勤められます。

その際、11月28日にお勤めするご本山1月16日にお勤めするご本山があります。

これは旧暦でお勤めするか、新暦でお勤めするかの違いということです。

親鸞

亡くなるときはお釈迦さまのご臨終りんじゅうにならったんじゃ

親鸞聖人ご臨終の様子
親鸞聖人ご臨終のようす

『親鸞伝絵』には亡くなられた時の体の姿勢も描かれていました。

頭北面西ずほくめんさい」というのは「頭を北にして顔を西に向けて寝ておられた」という意味です。

これは釈迦しゃかさまのご臨終の姿にならったものです。

寝そべったすがたのお釈迦さまの絵や像を見たことがありますでしょうか。

あれがご臨終のようすを表現したものです。

涅槃図ねはんず涅槃像ねはんぞうと呼ばれます。

クシナガラのお釈迦様の涅槃像
お釈迦様入滅の地クシナガラの涅槃像(管理人撮影)

親鸞聖人はそのお釈迦さまのお姿にならって息を引き取られたのでした。

親鸞聖人のご遺体は延仁寺えんにんじに運ばれ、火葬されました。

親鸞聖人の葬列
大勢の人たちが火葬場へお供した
親鸞聖人の火葬
火葬を見守る人々

その後、お遺骨いこつはお弟子さんたちによって拾われ大谷おおたにの地におさめられました。

廟堂びょうどう~大事な教えを伝える場~

親鸞聖人がお亡くなりになられて10年後の文永ぶんえい9年(1272)。

ご遺骨をおさめる廟堂びょうどうが建てられました。

親鸞聖人

10年後に遺骨がおさめられたお墓所はかしょが建てられ、みんなの参詣さんけいする場所になっていったんじゃ。

廟堂というのはお墓所のことです。

親鸞聖人の遺骨を納めた大谷の廟堂
大谷の廟堂

文永ぶんえい九年冬のころ、東山ひがしやま西のふもと、鳥部野とりべのの北、大谷の墳墓ふんぼをあらためて、おなじきふもとよりなほ西、吉水よしみずの北のほとりに遺骨を掘り渡して仏閣ぶっかくをたて、影像えいぞうあんず。

『親鸞伝絵』より

親鸞聖人は大勢の門弟たちにしたわれました。

各地からお墓参りに来る者もいました。

その方たちが休憩したり、宿泊する場所も必要になったのではないかと想像します。

そこで廟堂として整備されたのでしょう。

本願念仏の道はお遺骨に執着する教えではありません

しかし、人間には故人をしのぶ手がかりが必要です。

私たちも強く故人を意識することによって思い出されるお姿があります。

お墓参りの時に、故人の言葉がよみがえってくることもあります。

門弟たちも廟堂にお参りすることを通して、親鸞聖人のお姿を偲ばれたことでしょう。

教えてもらったお言葉をあらためてかみしめたことでしょう。

そのような大切な場が廟堂となっていったのだと思います。

廟堂は今日に至るまで大切に伝えられています。

京都市東山区の地には現在も4つの廟堂まもられています。

本願寺派大谷本廟

名称龍谷山本願寺 大谷本廟
郵便番号〒605-0846
住所京都市東山区五条橋東6丁目514
電話番号075-531-4171
ホームページhttps://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/

大谷派大谷祖廟

名称真宗大谷派 大谷祖廟
郵便番号〒605-0071
住所京都市東山区円山町477
電話番号075-561-0777
ホームページhttps://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/otani/

興正派霊山本廟

名称興正寺 霊山本廟
郵便番号〒605-0861
住所京都府京都市東山区清閑寺霊山町4
電話番号075-561-0940
ホームページhttps://www.koshoji.or.jp/ryozen_honbyo_index.php

佛光寺派佛光寺本廟

名称佛光寺本廟
郵便番号〒605-0051
住所京都市東山区粟田口鍛冶町14番地
電話番号075-561-2100
ホームページhttps://ohaka.bukkoji.or.jp/

つないでもらったものを未来へ

このコラムは親鸞聖人ご誕生850年の節目を迎えることを念頭に書き始めました。

仏さまの教えは2500年ほど前のインドでお釈迦さまによって語られました。

お釈迦様が説法された霊鷲山からの景色

その教えが国を超え、時代を超えて現代まで伝わっています。

この間、数々の先人たちが教えを確かめ伝えてくださいました

親鸞聖人もそのお一人です。

教えを伝えてくださった方は親鸞聖人のように有名な方ばかりではありません。

無名の人も大勢おられたはずです。

というか、ほとんどが無名の方です。

その方々のお名前やご生涯はたずねようがありません。

しかし、お一人が一代伝えるだけでも親鸞聖人のようなご苦労があったのです。

今日まで伝わってくるには私たちの想像を超えたご苦労があったことと思います。

何気なく称える「南無阿弥陀仏」も実はご苦労のつまったお念仏でした。

先人方がつないでくれたからこそ今があるのです。

その思いを次の世代へつないでいくことが大事ではないかと感じています。

つないでもらったバトンを未来へとつないでいく。

そんな大きな役割を背負った今を私たちは生きているような気がするのです。

2023年にお迎えする親鸞聖人ご誕生850年の節目。

それは本願念仏の道を後世へつないでいく大切なご縁でもあると感じています。

合掌

親鸞聖人とは?浄土真宗の宗祖のご生涯と教えの要点まとめ

参考文献

この記事を書いた人

千葉憲文師プロフィール写真
千葉憲文師

香川県在住の真宗興正派僧侶。本山布教使。

ゆっくりとやわらかな口調のお話で、お念仏の教えと身近な話題とのつながりがわかりやすいと評判。


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