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芦田愛菜さんの「信じる」は浄土真宗の「信心」に通じる?【香川正修師】

こんにちは、真宗興正派の香川正修です。

2020年9月3日に行われた、映画「星の子」の完成報告イベントでの芦田愛菜さんのコメントが注目されています。

この映画は怪しい宗教を信じる両親に育てられた主人公の葛藤と成長の物語。

主人公の林ちひろを演じる芦田愛菜さんが、映画のテーマである「信じること」についての質問に答えました。

 芦田愛菜さんの「信じる」ということ

「その人のことを信じます」って結構使うと思うんですけど、それがどういう意味か考えた時に、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていることなのかと感じて。

ではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけであって、見えなかった部分が見えたときに、「それもその人なんだ」と受け止められる揺るがない自分がいるというのが信じられることなのかなって思ったんですけど。

揺るがない自分の軸を持つというのはすごく難しいじゃないですか。だからこそ人は信じるって口に出して、不安な自分がいるからこそ、例えば成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思います。

芦田愛菜

この受け答えが、とても16歳の少女のものとは思えない、深く人生を捉えた哲学的なものであることに多くの方が驚きました。

この芦田さんの「信じる」ことの理解が浄土真宗に通じると感じるのは私だけでしょうか。

「確信」と「盲信」「妄信」

私たちは、普通何かを信じようとするとき、まず自分で確かめて納得しようとします。

自分で確かめた上で固く信じて疑わないことを確信といいます。

それに対して、意味を理解していないのに、ひたすら信じてしまうことを盲信といいます。

他にも正当な理由もなしに、ひたすら信じてしまうことを妄信といいます。

一般的に信といえば、この確信盲信妄信のどれかでしょう。

浄土真宗の「信心」

浄土真宗の信心は、自分の力で信じる確信でも、ただひたすら信じる盲信妄信でもありません。

その信心は「阿弥陀仏の大いなる慈悲の心」であり、「疑いのまじることがない、真実の信心」と言われます。

真実というのは、嘘や偽りでない本当のことをいいます。

どんなに固い確信でも、どんなに純粋な妄信でも、揺らいだり壊れたりしていきます。

なぜなら、それらは無常の世界に生きる人間が作り出したものだからです。

時代や生活環境が変われば、心もさまざまに変わっていきますので、確信や盲信、妄信には必ず、偽りが混じってきます。

阿弥陀仏

あなたを必ず浄土へ生まれさせ、仏とならせたい

という阿弥陀仏の願いは、どんなに時を経ても、私がどんな風に変わろうとも、決して偽りでない、揺らぐことも壊れることもないものです。

浄土真宗で信心というのは阿弥陀仏の心をいうのであって、私の心ではありません

親鸞聖人の法然上人への「信頼」

 親鸞聖人はこのようにおっしゃっています。

たとえ法然上人にだまされて、念仏したために地獄へ堕ちたとしても、決して後悔はいたしません

歎異抄

なぜ、これほどまでに人を信じることができたのでしょうか。

親鸞聖人は、法然上人を勢至菩薩せいしぼさつの化身であると敬っていました。

勢至菩薩は阿弥陀仏のはたらきを助ける存在ですから、法然上人への信頼は阿弥陀仏の大悲心と重なっており、揺らぐことはありませんでした。

芦田愛菜さんの「信じる」ことを解釈すると

芦田さんの言葉に戻ります。

その人のことを信じますって…自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていること

これは確信や盲信のことでしょう。

見えなかった部分が見えた時に、それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいるというのが信じられること

信じるということを、そのまま(真実)を受け止められる自分がいることと捉えています。

揺るがない自分の軸を持つというのはすごく難しい…不安な自分がいるからこそ、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないか

しかし、常に自分は不安で揺らいでしまいます。

煩悩をはなれることができず迷い苦しんでいる私が、不安に揺らいでしまうのは当然のことです。

妄信、確信にとらわれて、「揺るがない自分の軸」を持つのは難しいことです。

では、その軸を持つには、どのようにすれば良いのでしょうか。

「揺るがない自分の軸」を持つということ

「仏の願いの生まれ起こった始めから終わりまでを聞いて、疑いの心がないのを聞というのである」

「まことによろこばしいことである。心を本願の大地にうちたてて、念いを不可思議の大海に流す」

教行信証

阿弥陀仏は、私が迷いの世界で苦しんでいるからこそ、

阿弥陀仏

あなたを必ず浄土へ生まれさせ、仏とならせたい

と願いを届けられています。

それをそのまま疑いなく聞き受けたならば、私の心に仏さまの大悲心という軸が立ちます

相変わらず私は揺れてはいます。

しかし、私の中に立った揺るがない軸(信心)が安心を与えてくれることでしょう。

今回、芦田愛菜さんの「信じる」ことについての深い洞察から、学ばせていただきました。

ありがとうございました。

この記事を書いた人

香川正修師

香川県在住の真宗興正派の僧侶。本山布教使。
住職としての活動以外にもアートプログラム「よるしるべ」の開催に携わるなど、地域活性化に協力する中で、仏教を身近に感じてもらえるよう努めています。