前章では京都へ戻られてからの
執筆活動にはげまれ、関東門弟との交流が続けながら、おだやかな晩年をすごされたかのようにみえます。
しかし、晩年の親鸞聖人には心を痛めるできごともありました。
関東門弟たちの動揺や、親鸞聖人の息子である慈信房善鸞へのご心配です。
この辺りのことは『
そこで親鸞聖人のお手紙(
関東の門弟たちの混乱と動揺
親鸞聖人が関東を離れたあと、関東では門弟たちの混乱がおきました。
親鸞聖人79歳、関東を離れて15年ほどたったころ。
お手紙には
門弟たちが教えについて質問し、それにお答えしたものでしょう。
手紙の背景には教えについての論争があったようです。
お手紙から分かる論争の内容を見てみます。
お念仏の回数について
お念仏の回数について意見の対立がありました。
「お念仏は | 「お念仏はたくさんしたほうがいいのだ」と主張する人 |
お念仏する心持ちについて
お念仏するときの心持ちについても意見の対立がありました。
「仏さまを心に観じながらのお念仏でなければならない」と主張する人 | 「お念仏は心をしずめて何も思わないお念仏でなければならない」と主張する人 |
他力のお念仏は阿弥陀さまの願いの念仏
これらの意見について親鸞聖人はお手紙で本願念仏のこころを説かれます。
本願念仏の教えは
他力 のお念仏によって往生 するのですから、一声のお念仏でもたくさんのお念仏でも、みな等しくお浄土へ往生するのですよ。他力のお念仏は
阿弥陀 さまの願いのお念仏です。「ただ念仏もうす者になってくれよ」との願いをうけてのお念仏ですから、人間が有念・無念をいうようなことではありませんよ。
(筆者意訳・抜粋「12月26日付、教忍坊あて御消息」より)
本願念仏の教えを聞く中心にいた親鸞聖人。
その聖人が遠く(京都)へ行かれたことで門弟たちにも
門弟たちは混乱し、
より深刻な問題も起こりました。
それが「お念仏さえすれば
「一声のお念仏で救われる」という教えは「お念仏さえすれば何をしてもいい」と誤解されやすいようです。
「悪事は思いのままにしなさい」と
同じ問題がコラム第6章「弾圧を受けた承元の法難」にもありました。
繰り返しになりますが、本願念仏の教えは悪事をすすめていません!
親鸞聖人はお手紙で伝えます。
この世の悪事をすてて、浅はかなまねをしないようなことこそが、迷いの世をすててお念仏をもうすということなのですよ。
(筆者意訳「11月24日付御消息」より)
人間は欲や怒りの心を抱えていますから、悪事をはたらいてしまうこともあるでしょう。
けれども、過去のその行動やこころを省みたり、恥じたりする。
それが念仏者です。
決して悪事をすすめる教えでも、開き直る教えでもありません。
鎌倉幕府の介入と性信 師
悪事をすすめる主張は門弟内の問題にとどまりません。
悪事を好む人にとってはちょうどよい
これ幸いと悪事をはたらく者も出てきたのでしょう。
治安の悪化をまねいたことも考えられます。
そして、それを見過ごせないのが鎌倉幕府です。
鎌倉幕府からよびだしがあって、弟子の性信に苦労をかけたんじゃ
治安の悪化は政治の上でも大きな懸念となります。
幕府が介入しての訴訟も起こりました。
資料が少なく詳細は不明ですが、断片だけでも見ておきましょう。
門弟を代表して幕府への対応を担ったのが性信師です。
親鸞聖人の
親鸞聖人24
「7月9日付、性信房あて御消息」は幕府に対応した性信師をねぎらう内容となっています。
性信師は幕府に対して念仏者のこころを「
それをうけた親鸞聖人は「世のなか
お念仏は悪事をすすめて治安を乱すものではない。
政治の邪魔をする教えではない。
ひろく世のなかが安穏であるため、仏さまの教えがひろまるため。
(筆者意訳・抜粋)
これが念仏者のこころとして示されたのです。
このお手紙では過去に同じような
おそらく
お念仏が悪事をすすめるものであれば、世を乱すもとになります。
しかし、決してお念仏は世を乱すものではない。
性信師が鎌倉幕府に明言したことによって事態はおさまりました。
慈信房善鸞の心配
息子の慈信房善鸞についても話しておこうかの
『
何年に生まれ、何年に亡くなられたのか、詳しいことは分かっておりません。
京都へ戻った親鸞聖人とは一緒にお過ごしだったのだろうと思われます。
わしのかわりに息子である慈信房善鸞に関東へ行ってもらったんじゃが・・・。
関東門弟の動揺に対して、親鸞聖人はお手紙で教えを説かれていました。
しかし、それだけでは行き届かないところがあったのでしょうか。
もしくは、関東の門弟たちにお願いされたのでしょうか。
親鸞聖人は自分の
のちの伝記には、
(『
彼慈信房 おほよそは聖人の使節 として坂東 へ差向 たてまつられけるに、慕帰絵 』第4巻より)
(
初 は聖人の御使 として坂東へ下向 し、浄土の教法をひろめて、『最須敬重絵詞』 第17段より)
と記されています。
坂東というのが関東のことです。
しかし、この下向が関東に混乱をもたらします。
親鸞聖人は関東に行った慈信房にも手紙を送っています。
それによれば最初のうちは慈信房を信頼していたのでしょう。
「9月2日付、慈信房あて御消息」では自分の名代として門弟たちにこの手紙を読み聞かせるようにたのんでいます。
しかし、それよりあとに出されたと考えられるお手紙では、
自分(慈信房)が父親鸞から聞いたお念仏の教えこそ真のお念仏です。
関東のみなさん方が日ごろしているお念仏は根拠のないお念仏です。
(筆者意訳、「9月27日付、慈信房あて御消息」より)
慈信房のこのような発言を伝え聞いたとあります。
さらにご消息には
推測になりますが、慈信房は父の名を出して有力門弟たちのお念仏を批判したのだと思います。
そして、「直弟子たちが本願念仏の道を外れてしまった」と親鸞聖人に報告したのでしょう。
慈信房と有力門弟との間にあつれきが生じていた。
それを自分に都合のいいように親鸞聖人に報告していた。
慈信房を関東に使わしたことによって混乱はますます深まってしまったようです。
慈信房についてもう少しお話ししておきます。
これは
親鸞聖人のお手紙には慈信房と親子の縁を切ったと書かれたものが2つあります。
1つは「建長8年5月29日付、慈信房あて御消息」で、慈信房に対して親子の縁を切ることを通告する内容になっています。
もう1つは「5月29日付、性信房あて御消息」で、親子の縁を切ったことを広く門弟たちに知らせるように書いてあります。
この2つのお手紙は親鸞聖人の
さて、お手紙を見ていくと、
関東の門弟たちの動揺を必死にしずめようとする親鸞聖人。
息子慈信房のことで心を痛めていた親鸞聖人。
そのようなお姿が浮かびあがってきます。
晩年の親鸞聖人には悲しいできごとも起こっていたのです。
みんなと共に安穏を願う
親鸞聖人はたくさんのお
その中に夢の中でいただいたといわれるお詩があります。
85歳の時、夢の中でお詩をちょうだいしたんじゃ
弥陀の
本願 信ずべし 本願信ずる人はみな(『
摂取不捨 の利益 にて無上覚 をばさとるなり正像末和讃 』より)
意訳すれば「阿弥陀さまの願いを信じなさい。本願念仏を信じる人はみんな決して見捨てられることはありません。必ずおさめとられてこの上ないさとりを開きます」となります。
夢の中で「阿弥陀さまの本願を信じよ」と告げられたのです。
年代から推測すると関東門弟たちの動揺や慈信房に心を痛めた時期と重なります。
私はこのお詩に2つのおこころを感じます。
親鸞聖人に本願念仏に
立ち返ることをすすめるおこころ
ひとつめは親鸞聖人に本願念仏に立ち返ることをすすめるおこころです。
親鸞聖人は門弟たちの動揺や慈信房に心を痛めておられました。
人間の心は
変化し、ゆらぐものです。
心配事を抱えているときには特にゆらぎが大きくなるものではないでしょうか。
そのような時こそ本願念仏に立ち返ることが大事なのだと思います。
不安な時ほど、確かな
告げられたお詩は親鸞聖人を本願念仏に立ち返らせるものであったと感じるのです。
これは親鸞聖人のご信心がゆらいだというお話しではありません。
ご信心あればこそ、阿弥陀さまの願いに立ち返る夢告をうけられたということです。
みんなに本願念仏をすすめるおこころ
ふたつめはみんなに本願念仏をすすめるおこころです。
関東門弟たちの混乱は、もとは信心がさだまっていないことに由来します。
阿弥陀さまの願いを信頼していればお念仏の数が問題になることはなかったはずです。
自分の心の状態が論争になることもなかったでしょう。
また、願いをうけとめていれば「悪事はしてもかまわない」という開き直りは生まれません。
慈信房が何をいおうが動揺することもなかったと思います。
今一度みんな阿弥陀さまのご本願に立ち返ろう。
親鸞聖人だけでなく、ご門弟すべてに本願念仏をすすめる。
さらには慈信房もふくめた世のすべての人々に本願念仏をすすめる。
そのようなおこころがこめられているように感じます。
阿弥陀さまの願いは「生きとし生けるものを必ず救う」という願いです。
お念仏を通してその願いが私たちに届けられます。
そして、それが世の
自分だけでなく、みんなと共に安穏を願う。
そこに真の安らぎがあらわれるのではないでしょうか。
合掌
さて、次が最終章となります。
当時の平均年齢を大幅に超えて、90年という長い人生を歩まれた親鸞聖人もいよいよ命を終えるときを迎えます。
第12章では親鸞聖人のご往生と廟所についてご紹介いたします。
- 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』本願寺出版社 2004年
- 『浄土真宗聖典全書』第2巻 本願寺出版社 2016年第3刷
- 『真宗史料集成 第1巻』同朋舎出版 1974年
- 『真宗史料集成 第7巻』同朋舎出版 1983年
- 『現代の聖典 親鸞書簡集 全四十三通』細川行信・村上宗博・足立幸子著 法蔵館 2002年
- 『親鸞』赤松俊秀著 吉川弘文館 2000年 新装版第8刷
- 『親鸞』平松令三著 吉川弘文館 1998年
- 『親鸞の家族と門弟』今井雅晴著 法蔵館 2002年
この記事を書いた人
香川県在住の真宗興正派僧侶。本山布教使。
ゆっくりとやわらかな口調のお話で、お念仏の教えと身近な話題とのつながりがわかりやすいと評判。
わしが去ったあとの関東では勝手なことをいう者もでてきたんじゃ