こんにちは、曹洞宗の大鐵です。
前回の章では永平寺の起床時間についてお話しました。
朝早く起きると、修行僧たちは洗面に向かいます。
洗面も大事な修行のひとつで、この記事では永平寺式の洗面の仕方をご紹介します。
永平寺の洗面の作法
ただ顔を洗うだけではなく、洗面にも作法があります。
曹洞宗開祖道元禅師がお示しになりました『正法眼蔵洗面の巻』には洗面や歯磨きの作法がとても細かく書かれているのです。
起床したらすぐに洗面の時間ですので以下の道具を用意します。
洗面手巾 - タオル
- 歯ブラシ
洗面手巾というのは一幅(約37.9センチ)、長さが一丈二尺(6.6m)の布で、衣が濡れないようにするために使うものです。
手巾の中ほどをうなじにかける。
手巾の両端を左右の肩から前に出し、それを左右の手で、左右の脇から手巾の左右の端を後ろへ持ってきて、それを交差左脇を右、右脇を左へ出し、胸の前で結ぶ。
このようにすれば、下着の襟は手巾に覆われ、両袖は手巾に結びあげられ、肘より上に上がってしまう。
丁度襷がけになる。
「正法眼蔵 洗面ノ巻」
衣に洗面手巾を巻いて、タオル歯ブラシを片手に洗面所に向かうのです。
歯磨き
洗面所についたら備え付けの洗面器に水を8分目ほど張り、洗面器の中の水のみで歯磨きと洗面を行うのです。
まず最初は歯磨きから。
歯磨きは現在は歯ブラシを使用しますが、昔は木枯らし紋次郎やドカベンの岩木が口にくわえていたような長い楊枝を使用した時期もありました。
1.まず楊枝を右手にとって、偈文を心の中で唱える。
いきなり歯磨きを始めるのではなく、合掌し偈文を心の中でとなえます。
手執楊枝 当願衆生
心得正法 自然清浄 手に楊枝を執らば 当に願わくば衆生と共に
心に正法を得て 自然に清浄にならんことを
正法眼蔵「洗面の偈」
洗面の偈文を読むときには声は出しません。
たくさんの僧侶が一斉に洗面所に集合しているので、各々が偈文を読むととてもにぎやかになってしまいます。
ですので、静かに心の中で唱えるのです。
洗面所は修行道場のすぐ裏にあり、静かさが求められます。
2.楊枝を噛む時(歯を磨く前)に偈文を唱えます
続いて歯を磨く時にも心のなかで偈文を唱えます。
晨嚼楊枝 当願衆生
得調伏牙 噬諸煩悩
晨 に楊枝を噛まば 当に願わくば衆生と共に調伏の牙を得て 諸々の煩悩を
正法眼蔵「洗面の偈」噬 まんことを
歯を磨くときも口を手で覆いながら行います。
洗面器の水はこのあと顔を洗う時にも使うので汚さないように気をつけなければなりません。
楊枝を用いるときには5つの定めがあります。
- 楊枝を断つには決められたようにすること
- 楊枝を捨てる時は作法のようにすること※楊枝専用のごみ箱がありました。
- 楊枝の端を噛むときは三分を過ぎてはならないこと
- 歯のうつろになっているところは、三たびかむこと
- 楊枝を噛んだ時の汁は眼を洗うのに用いること
「楊枝を噛んだ時の汁は目を洗うのに用いる」というのは、昔は民間療法で目薬として利用されていたメグスリノキの枝を楊枝として使ったのではないかと言われています。
3.舌を磨く。
歯を磨くのと合わせて舌の掃除もします。
舌をこするときにも5つの定めがあります。
- 三返を超えてはならない
- 舌の上に血が出たら止めること
- 大きく手を振って、衣や足を汚してはならない
- 楊枝を捨てる際に、人の通る道に捨ててはならない
- それはつねに、物陰に捨てるようにすること
4.口を漱ぐときにも声を出さずに偈文を唱える。
最後のうがいをする時にも心の中で偈文を唱えます。
藻漱口歯 当願衆生
向浄法門 究竟解脱 (口歯を藻漱せんに 当に願わくば衆生と共に 浄法の門に向かいて 究竟して解脱せんことを)
正法眼蔵「洗面の偈」
水を吐くときにも音を立てないよう、洗面器を避けて口を隠しながら吐き出すようにします。
洗面の偈文
歯磨きが終わったら顔を洗います。
冬の永平寺はとてつもなく寒く、もちろんお湯もでません。
冬場の洗面は本当に冷たくて一気に目が覚めました。
顔を洗いながら、偈文を心の中で唱えます。
以水洗面 当願衆生
得浄法門 永無垢染 (水をもって面を洗う、当に願わくば衆生と共に、浄法門を得て、ながく垢染無からん)
正法眼蔵「洗面の偈」
顔を洗う順番も細かく決められています。
両手で洗面桶をすくい、額、両眉毛、両眼、
鼻の孔 、耳の中、頭、頬。満遍なく洗う。
正法眼蔵「洗面の巻」
この顔を洗う順番は自分の洗面のためだけではなく、仏像の掃除のときにも必要な知識なのです。
仏像の掃除方法は洗面の順番と同じで額、両眉毛、
静かに水を捨てる
洗面・歯磨きが終わったら、残った洗面器の水は洗面所の縁に当てて流します。
ザバーっと音を立てないように、洗面所の縁に水を沿わせて静かに流すのです。
ただ水を捨てるというだけでも動作に気を使わないといけないのですね。
洗面・歯磨きにいたるすべての行動でできるだけ音を立てず、静かに行うように精神を集中しなければならないのです。
まとめ
修行をはじめてすぐのころは、この洗面作法にのっとった洗面だときちんと顔を洗えた実感がありませんでした。
水は冷たいし、顔を洗う順番を間違えると注意される。
早くしないと洗面のあとに行われる暁天坐禅(朝の坐禅)に間に合わない。
長い洗面手巾を扱うのが困難で、絡まって上手くたためない。
慌てる。
テンパる。
この時ほど時間に追われる感覚を感じたことはありません。
「だったら、洗面しなくても良いのではないか?」
と思う人もいるでしょう。
そうはいかないのであります。
『正法眼蔵 洗面の巻』にはこのように記されています。
もし面を洗わなければ人から礼拝を受けても、他を礼拝しても、共に罪を犯すことになる
正法眼蔵「洗面の巻」
洗面をしないものは修行僧失格とみなされるのです。
慌ただしく洗面を済ませ、続いて朝の座禅の時間となるのです。
この記事を書いた人
三重県在住の曹洞宗僧侶。
失敗のとらえ方についてよくお話します。
永平寺の修行時代のエピソードを中心にコラムを書いています。