浄土真宗では「南無阿弥陀仏」のお念仏を大事にしています。
お寺にお参りした時はもちろん、お通夜やお葬式でも申しますから、耳にしたことがある方もおられると思います。
このお念仏、おまじないの呪文と誤解されることもあります。
しかし、本来のお念仏はおまじないではなく、大きないのちの世界へと導いてくれる阿弥陀さまの願いです。
願いというのは、「大事なことに気づいて欲しい」と願っておられるということです。
数えきれない背景
2020年7月現在、新型コロナウイルスのニュースを聞かない日はありません。
連日、感染者・死亡者の数が更新されています。
いのちが数字として示されている。
確かに感染状況を知らせるためには必要な情報です。
ただし、いのちには単なる数字では数えきれない背景があると思います。
今まさに罹患の苦しみにあるいのちもあれば、親しき者の病状を心配するいのち、亡くなられた方を悼むいのちもあるはずです。
これは私が仏事にたずさわる中で教えられた実感です。
100人のいのちにはその背景にもっと多くのいのちがある。
1000人のいのちはその背景にもっと多くのいのちがある。
いのちの世界は数字では数えきれません。
南無阿弥陀仏の意味
南無阿弥陀仏には「はかりなきいのち」という意味が込められています。
漢文で示せば「
ですから、お念仏に出遇うことは、はかりなきいのちに出遇うことでもあります。
阿弥陀さまはお念仏を通して、私たち一人一人がはかりなきいのちに出遇うことを願われたのです。
想像力を持って生きる
一つのいのちの背景には無数のいのちが広がっている。
その想像力があったならば、私たちの生き方は少し変わってくるのではないでしょうか。
コロナ禍の中、罹患者や病院関係者への差別・暴言もあると聞きます。
不安やストレスから乱暴になってしまう。
しかし、矛先を向けたいのちにも無数の背景があるはずです。
そのことを想像したならば簡単に他人を責めることはできないはずです。
不安やストレスが増す今だからこそ、いのちの背景を想像し、共に思いやる生き方が大事だと感じます。
合掌
この記事を書いた人
香川県在住の真宗興正派僧侶。本山布教使。
ゆっくりとやわらかな口調のお話で、お念仏の教えと身近な話題とのつながりがわかりやすいと評判。