こんにちは、浄土真宗本願寺派の布教使の浅野執持です。
2021年9月10日に「絵ものがたり正信偈2 インドから中国へ ひかりを伝えたお坊さま」を発刊いたしました。(一般販売・オンライン書店は9月27日より販売開始)
この正信偈の絵本を制作するにいたった思いや経緯を布教使.comに寄稿させていただきます。
なぜ正信偈の絵本を作ったのか?

愛媛県の住職である私の父は、ご門徒さんに縁あるごとにCDを渡します
自分の声で読経した『正信偈』のCDです。
それは今から10年ほど前のこと。
まだ現役世代の男性がお亡くなりになられた際、住職はそのおつれあいさんに
「いっしょに、ご縁にあわれてください」
と「正信偈」のCDを渡しました。
それから約半年後、報恩講(ほうおんこう)というお参りにそのお家を訪れた時、おつれあいさんとお嬢さんが私を迎えてくださいました。
仏壇に向かい『正信偈』をおつとめすると、とても上手に後ろからおふたりの声が聞こえます。
時の経過を感じました。
ふりかえり、ご法話すると涙を流しながらお聞きくださいました。
その後、お嬢さんから
「ご住職さんにおつとめするように勧められたのですが、『正信偈』にはどういう意味があるのでしょうか?」
と質問いただきました。
「まわりの人は親切に『日にち薬だから、時間が経つと楽になるから』と励ましてくれたけど、他の人の一周忌、三回忌はもうそんなにと思われるのに、自分の父親のこととなると一日一日が、つらく長いです」
ともお話くださいました。
「正信偈には何が説かれているのでしょうか?」
20代の方から、このような質問を受けたのは初めてでした。
その問いの中に
「父の死の意味を教えてください」
「父は今、どこにいるのでしょうか」
といった問いがあったのではと感じました。
私なりに、阿弥陀如来のこころが私のためにあることをお話しましたが、とても十分にお話しできたとは思えませんでした。
この体験が『正信偈』を絵本にとの原点にあったと思います。
正信偈の絵本化
それから約2年たったころから、『正信偈』の絵本化に取り組みはじめました。
絵本を制作するにあたり、現在広告代理店に勤めるライターをしている友人にも協力をしてもらうことにしました。
彼は僧侶ではありませんが、私とともに龍谷大学という浄土真宗系の大学の哲学科で学んだという経歴と、共通の恩師が宗教哲学者の石田慶和先生であったことから、彼に真宗の専門用語を理解してもらうのは意外とスムーズであったように思います。
監修を石田先生にお願いし、何度も京都・聖護院にある先生のお宅を2人で訪問し、教えを乞うということが続きました。
コピーライターの友人に協力してもらったことは、とてもよかったと感じています。
彼のサポートがなかったら、完成してないかもしれません。
念仏や名号、アミダさまなど、宗門内でふつうに使う言葉であっても、
「それでは一般の人には伝わらないよ」
と何度助言をもらったかわかりません。
かといって、僧侶として伝えたいことを表現しないわけにはいけない。
その狭間での葛藤、試行錯誤の連続でした。
(続く)
絵ものがたり正信偈2発刊記念対談

「絵ものがたり正信偈」発刊にあたり、瓜生崇先生のYouTubeチャンネル浄土真宗の法話配信で対談を企画いただきました。
解説を担当いただいた釈徹宗先生と対談し、絵本を作った経緯や、言葉をいかに選んでいったかなど絵本作りの試行錯誤の中身についてもお話もしております。
こちらの動画もあわせてぜひご覧ください。
2021年9月27日よりAmazon・楽天などオンラインでもお買い求めいただけます。
第2巻のイラストには消しゴムハンコ作家として活動されている布教使の麻田弘潤師も制作に関わっておられます。
前巻の「絵ものがたり正信偈〜ひかりになった、王子さま」はこちらです。
コラム執筆者
愛媛県在住の浄土真宗本願寺派僧侶。
浄土真宗の法話を聞くことを聴聞といいますが、聴聞とは、仏さまのこころの中に身を置くものだと思っています。
そして聴聞は法座の間に限定されるものではなく、むしろ日常の生活の中で聞き続けていくものだと考えています。
私の今日の歩みが、そのまま阿弥陀如来のお慈悲の中であるということをお話してゆきたいと思います。
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