親鸞聖人のご生涯第2章では親鸞聖人のお得度について触れていきます。
お得度とは髪を剃りおとし、僧侶としての歩みを始める儀式で、おかみそりとも呼ばれます。
師となる僧侶からおかみそりを受け、はじめて僧侶になれるのです。
養和元年(1181)親鸞聖人が9歳であった春のころ。
叔父の
親鸞聖人のおかみそりをした慈鎮和尚は慈円僧正とも呼ばれ、摂政や関白をつとめた
比叡山延暦寺の住職である
親鸞聖人の幼名は松若麿でしたが、得度を受けたときに「
親鸞聖人が出家した理由
親鸞聖人が出家することになった理由にはいくつかの説があります。
『
仏様の教えを広めて、あらゆる人を救いたいと思ったんじゃ!
興法の因うちにきざし、利生の縁ほかに催ししによりて
(仏さまの教えを盛んにしたいという思いが自分の中に起り、あらゆる人々を救いたいという思いが湧き上がったから)
「親鸞伝絵」筆者意訳
このような心が湧いてきたそうです。
道ばたに死人があふれる地獄絵のようなありさまを目の当たりにした親鸞聖人です。
仏さまの教えに人々の救いを求めたのかもしれません。
また、何らかの家庭事情によって出家したのではないかという説もあります。
世の中も大変じゃったし、わしの家族も大変じゃった。
親鸞聖人は4人兄弟の長男で3人の弟がいました。
『日野氏系図(専修寺本)』には兄弟のことが次のように記されています。
- 範宴 青蓮院慈鎮和尚門人(※親鸞聖人本人)
- 僧
尋有 権少僧都 - 僧兼有 権律師
- 僧有意 法眼
親鸞聖人を含む兄弟全員が僧侶になっているのです。
家督を継ぐ者までも出家していることから、日野家に何らかの異変が起きていたと考えられます。
親鸞聖人が出家される前年、
乱は平清盛によって治められましたが、日野家も騒動に巻き込まれていたのかもしれません。
確かなことは分かりませんが、ご一家も激動の時代と無縁ではなかったと想像します。
親鸞聖人お得度のエピソード
お得度について、語り継がれてきたエピソードがあります。
慈鎮和尚のもとを訪れてお得度を願い出た親鸞聖人。
しかし、その時はもう日暮れが近かったそうです。
慈鎮和尚は幼い親鸞聖人を見ておっしゃいます。
「今日はもう遅いのでお得度の式は明日に延ばそう」と。
すると、親鸞聖人は境内に咲いている満開の桜を見ながら、お詩でお返事をされました。
明日ありと思うこころのあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
という詩を申し上げたのじゃ。
美しく咲く桜の花も明日また見られるとは限りません。
夜中に強い風が吹けば散ってしまいます。
いつ尽きるとも知れぬわが身ですから、何事も先延ばしにできません。
お詩を聞いた慈鎮和尚は、親鸞聖人の並々ならぬ決意とその才能の豊かさに驚き、すぐさまお得度を行ったそうです。
このエピソードが歴史的な事実であったかは分かりません。
しかし、多感な時期に地獄絵のような現実を目の当たりにされた親鸞聖人です。
世の無常を感じ、仏さまに救いを求める気持ち。
何事も先延ばしにできぬという思い。
そういう思いを抱いておられたとしても不思議ではありません。
誰しもが明日をも知れぬ身
明日が必ずくる保証はどこにもありません。
それは私たちも同じです。
お釈迦さまは諸行無常、この世のものは絶えず変化しているとおっしゃいました。
本願寺の蓮如上人にこういうお言葉があります。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
さればいまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。
『御文章』第5帖16通
私たちの一生ははかないまぼろしのようだ。
ふらふらしていたらあっという間に人生が終わってしまうということでしょう。
そのはかなさをどのように受け止めるのかが大事なんだと思います。
「どうせ死ぬのだから」と受け止めるのか。
「せっかく生まれてきたのだから」と受け止めるのか。
受け止め方によって人生は大きく変わってきます。
はかなさの中にも「生まれてきて良かった」と言える人生。
仏さまはそんな生き方を願っているような気がします。
いつ終わるとも分からない人生だからこそ、ただ今に、仏さまの願いに出遇いたいものです。
さて、僧侶になった親鸞聖人は比叡山で修行に入られます。
第3章では比叡山で過ごした修行時代についてご紹介いたします。
- 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』本願寺出版社 2004年
- 『真宗史料集成 第7巻』同朋舎出版 1983年。
- 『詳説 日本史研究』 山川出版社 2004年。
- 『親鸞』赤松俊秀著 吉川弘文館 2000年 新装版第8刷。
- 『親鸞』平松令三著 吉川弘文館 1998年。
- 『親鸞教義とその背景』村上速水著 永田文昌堂 1987年。
この記事を書いた人
香川県在住の真宗興正派僧侶。本山布教使。
ゆっくりとやわらかな口調のお話で、お念仏の教えと身近な話題とのつながりがわかりやすいと評判。
わしが僧侶になったのは数え年で9歳のときじゃった。
叔父につれられて青蓮院にいったのじゃ。