こんにちは天台宗僧侶の小林恵俊です。
本記事では天台宗とはなんぞや?ということを基本的なことからお伝えしていきます。
天台宗というものをまったくご存知ない方にも、わかりやすくお伝えできるように解説をいたします。
動画でご覧になる方はこちらからどうぞ。
天台宗とは
まず、天台宗とは仏教であります。
仏教は仏の教えとも書きますから、仏さまの解かれた教えを学び、その教えに基づいて生活をしていくことで仏になることを目指す教えです。
では仏になるとはどういうことかというと、悟りと呼ばれる精神的な悩みや不安に惑わされない穏やかな心を目指すことと言えるでしょう。
その穏やかな心を目指すための方法は、時代や地域などそれぞれの人に合わせてたくさんの道となり、宗派となっていきました。
そのたくさんある道のひとつが天台宗ということです。
中国の隋(581〜618)の時代の天台大師のまとめた仏教解釈にもとづいて、修行や生活での実戦を通して、穏やかな心を目指す集団を天台宗と呼んでいます。
天台宗の本山は?
天台宗のご本山は比叡山延暦寺です。
県名で言うと滋賀県となりますが、滋賀県と京都府の間にまたがっている比叡山にお寺があります。
比叡山は京の都である平安京の鬼門(北東)を守る位置にありまして、世界遺産の一部にもなっています。
これは、古都京都の歴史的な背景の一つとして認められていて、京都とすごく関わりの深いお寺だということです。
天台宗の3つの派
天台宗と呼ばれる宗派の中には3つの宗派がございます。
宗派名 | 本山 |
---|---|
山門派 | 比叡山延暦寺 |
寺門派 | 三井寺(園城寺) |
天台真盛宗 | 西教寺 |
数でいうと私も所属している、比叡山延暦寺を本山とする山門派が一番多いです。
ただ、3つの派で大きな溝があるというわけでもなく、私も勉強していた叡山学院という天台宗の専門学校では寺門派の方も天台真盛宗の方も学ばれていました。
先生にも寺門派の方も天台真盛宗の方もおられましたので、今は派が違うからといってそんなに大きな違いがあるということはなさそうですね。
天台宗の開祖は?
天台宗には開祖として崇められるお二人の方がいます。
ひとりは中国で天台宗のお経の解釈をまとめた天台大師智顗という方です。
もうひとりは伝教大師最澄で天台大師智顗のまとめたお経の解釈に基づいた方法論を日本で広めた方です。
このお二人のことを尊敬を込めて高祖と宗祖というように呼んだりします
名前 | 呼び方 |
---|---|
天台大師 智顗 | 高祖 |
伝教大師 最澄 | 宗祖 |
日本における天台宗という組織の祖という意味で宗祖伝教大師 最澄と呼び、そのおおもとである中国で教えをまとめた天台大師 智顗のことを高祖と呼びます。
お仏壇にあるお二人の絵像
おうちに天台宗のお仏壇がありましたら、その中におそらくこのおふたりのお軸がかかっていることでしょう。
天台宗のお仏壇ではご本尊はひとつに決まってはいませんので、正面には阿弥陀さまだったりお釈迦さまだったり仏さまが祀られています。
その左右にお坊さんの絵がかかっていて、私たちからみて左側が宗祖伝教大師最澄で、右側が天台大師智顗です。
見分け方
向かって右側の天台大師の絵には頭の上に何かのっているものがあります。
これは禅鎮という道具をのせているお姿となっています。
禅鎮は、座禅をサポートするための道具で頭の上にのせて使います。
座禅をしているときに姿勢が崩れると、頭のうえに置いた禅鎮が落ちて音がたちます。
それで、「あ、姿勢が崩れてしまったんだな」と気づくことができるわけですね。
頭の上に禅鎮をのせているのが天台大師智顗です。
天台大師は禅の方面でも優れた方で、禅の修行の方法論や境地について詳しく書かれた指南書「天台小止観」・「摩訶止観」を残しておられます。
この本が天台宗にとっては実戦のバイブルみたいなものになりますし、後にできた禅宗のほうにも大きな影響を与えているといわれています。
このような理由で天台大師の頭の上に禅鎮をのせて描くというのが通例となっています。
禅鎮がのっていないのが伝教大師最澄です。
天台宗の特徴
天台宗は総合仏教と呼ばれることがあります。
というのも、天台宗では念仏もすれば座禅もするし、護摩をたく密教もおこないます。
お経もいろんな種類のお経を読みまして、法華経も読むし、阿弥陀経も読むし、般若心経も読みます。
いろいろな修行や読経をするので、総合仏教と呼ばれるのですね。
一番重要なお経としては法華経ということになります。
法華経の精神に基づくと、あらゆるお経を大事にしようということになるんですね。
こちらの動画では天台宗のお経について解説していますので、あわせてご覧ください。
たまに天台宗の檀家さまからこのような質問を受けることがあります。
「いろんなお経を読んで良いんですか?」
「禅宗のお寺で座禅修行とかしてもいいのですか?」
私からの回答としては「一向にかまいません」ということになります。
あらゆる修行、あらゆるお経を大事にしていくのが天台宗のスタンスです。
天台宗の仏事について
天台宗でおこなう仏事について解説します。
お葬式について
天台宗ではお葬式の時、亡くなられた方を極楽浄土という阿弥陀さまのお浄土にお送りするために法要をおこなうことが多いと思います。
ですから、式の中では南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお唱えします。
ただ、式の中には密教の作法が入るところもあるのが特徴ですね。
極楽浄土という阿弥陀さまの心穏やかにいられる世界に入っていただくことを目的として、お葬式をつとめます。
法事について
お葬式のあとには法事などをつとめますが、これについてはあまり申し上げることができません。
というのも地域やお寺によってぜんぜん違うものですから、一口に「これが天台宗の法事です」とは言えないんですね。
ですから、お世話になっているお寺さんに聞いていただくのが一番です。
もちろんどの地域・どのお寺であっても天台宗として大事にしていることは同じはずです。
芯となる部分は同じなのですが、その地域の慣習や住職様の考え方も反映されますので、所属するお寺に相談してみてください。
天台宗の数珠について
天台宗の数珠はこのような形のものを用います。
正式なものは平玉と呼ばれる形の玉が108個つながれたものとなっています。
ひとつの大きな輪の一方に、ふたつの梵天の房がついているものが天台宗の数珠の形になります。
ただ、正直なところここで紹介しているような正式な数珠をお持ちの方は少ないですね。
一般の方は略式の数珠を用いている方も多いです。
ただ、略式の数珠はどこの宗派の正式な形でもないものです。
だからこそ、逆説的にどこの宗派でも使えてしまうというような微妙なところがありまして、あまりこだわらないのなら略式の数珠でもかまわないのかもしれません。
ですが、やはり天台宗のご門徒さんであるなら、108個の平玉がついたお数珠を持たれるほうがより良いのかなとは思います。
数珠の持ち方
本式の数珠はくるっとひねって二重にして持ちます。
左手で持つのでこのような状態ですね。
合掌のときはこのような形になります。
天台宗の目指す生活
最後に天台宗ではどのようなことを心に留めながら生活をすれば良いか、私自身の観点で4つのキーワードをもとにお伝えします。
- 七仏通戒偈
- 止観
- 諸行往生
- 一隅を照らす
七仏通戒偈
まず七仏通戒偈の解説にあたって、ご紹介しておきたい書籍があります。
大正大学の先生方が書かれた「日本人のこころの言葉 最澄」という本です。
この冒頭の部分にこのような文言があります。
善とは何であるか、悪とは何であるかをつねに自問自答しつつ、自己反省を重ねながら、自分自身がいつも清々しく生きる努力のなかに仏法が生きている。
まさに最澄の生涯を貫いていたものはその善心であったという気がしてきます。
日本人のこころの言葉 最澄
宗祖伝教大師最澄さまがこのような志を持っていらっしゃったということが書いてあります。
この善とはなんであるか、悪とは何であるかという話がでてくるのが七仏通戒偈です。
「悪いことをせず、良いことをして自分の心を清めていく」というとてもシンプルな教えで、過去におられたたくさんの仏さまもこの教えを大事にしていらっしゃったということです。
ここでいう悪いこと善いことは道徳的な善悪や、法律で決まっている善悪ではありません。
自分の心を清めていくことが大事であり、常に自分の心と向きあって良いこと・悪いことに向きあいながら生きていかねばならないということです。
天台宗の修行や生き方の指針について、高祖天台大師がまとめた本の一番冒頭にこの七仏通戒偈が引用されています。
仏教全般を考えても、また天台宗としても七仏通戒偈をまず心に留めて生きることは大切ですね。
止観
つづいて、自分の心と向き合って心を観ることが天台宗ではとても大事なことであります。
これを止観といいます。
「止」とは落ち着ける・止めることですので、心のゆらぎを落ち着けることです。
その上で自分の心を観察をするのです。
天台宗では座禅や念仏、法華経を読んだり、密教をしたりいろんな修行をすることをご紹介しました。
そのいろんな修行が止観というもので統一されるのです。
様々な修行をすることはすべて自分の心と向き合って観察していく目的があり、すべての修行が止観になります。
諸行往生
天台宗ではいろいろな修業によって極楽に行くことを目指し、そのためには南無阿弥陀仏とお唱えするだけではなく、座禅をしたりお経を読んだりします。
あらゆる修行が極楽に行くための原因となるというのが天台宗の根本的な考え方です。
そのことを諸行往生と言います。
ここまで禅とか法華経などの専門用語をご紹介したので「自分とは遠い世界だなぁ」と思うかたもおられるかもしれませんが、特別な修行に限らず日常の中でも止観を行うことができます。
例えば以下のような時間も止観を意識するといいですね。
- 掃除のとき
- ご飯を食べるとき
- 仕事をするとき
生活の中で自分の心を落ち着けて、心を含めあらゆるものを観察していくと、だんだんと穏やかな心に近づいていけます。
そうやって自分の心のゆらぎや、込み上げてくる怒りなどにいち早く対処していけると良いですよね。
一隅を照らす
このように自分自身の心と向き合いながら、何が良いことで何が悪いことかと反省をしながら生きる人が一隅を照らす人となります。
一隅を照らすとは、それぞれの場所で周りの人たちを照らす存在のことをいいます。
自分一人が照らせる量はそんなに大きくはないかもしれません。
でも、それぞれがそれぞれの場所でベストを尽くすことによって、隣の人を照らすことができます。
隣の人はまたその隣の人を照らしていくと、光がどんどん広がっていきますよね。
それが一隅を照らすという言葉であり、伝教大師最澄が目指したことなのです。
まとめ
まとめると、天台宗の目指すところは以下の通りだと私は解釈しています。
- 良いこと・悪いことを常に忘れず、自分の心と向き合って反省する
- 心を落ち着かせ、自分の心を観察すること(止観)
- 止観が極楽という心穏やかな世界にいくための要因になること
- これらを実践することで一隅を照らし、連鎖的に社会が良くなること
初めての天台宗という解説にしては、私自身の解釈に寄った部分もあるかとは思いますが、何か参考になれば幸いです。
この記事を書いた人
兵庫県在住の天台宗僧侶。
仏教の教えをわかりやすく伝えた動画が人気で、TikTokのフォロワーは10万人を超える。