最終章は親鸞聖人のご往生のようすをおたずねしていきたいと思います。
ご往生は
親鸞聖人の90年の生涯を日本史年表に照らし合わせると、なんと36もの元号にであっておられます。
病いの床につく親鸞聖人
親鸞聖人は85歳のお手紙にご自分の様子をこのように記しています。
目もうすくなってまいりました。
なにごとも忘れてしまいました上に、他人さまにはっきりと申し上げることのできる身でもございません。
筆者意訳「閏3月3日付ご消息」より
だんだんと目が見えづらくなり、記憶におとろえを感じておられたということです。
現代では85歳という年齢はそれほど珍しくなくなりました。
しかし、鎌倉時代の平均寿命はその半分ほどといわれます。
当時の感覚ではかなりのご高齢と感じたことでしょう。
いつの時代でも加齢による体力のおとろえからは逃れられません。
親鸞聖人もだんだんと体が弱ってきたようです。
それから5年後の
『
弘長二歳 (壬戌 )仲冬 下旬の候 より、いささか不例 の気 ますます。それよりこのかた、口に
世事 をまじへず、ただ仏恩 の深きことをのぶ。もつぱら
称名 たゆることなし。
「
「下旬」はその月を10日ずつ上中下に分けた最後という意味になります。
11月20日ごろから少々病気がちになられました。
体力がおとろえ、ご病気にかかったのでしょう。
病床ではただ仏さまのご恩の深さを語っておられたそうです。
90年の生涯では戦乱という人災に
地震や台風、
かずかずの
しかし、親鸞聖人の口からはグチではなくお念仏がこぼれてきました。
そのお姿に人間の抱える苦悩を超える道を感じます。
仏教では人間の逃れられない苦しみが
- 生…思い通りにならない生の苦しみ
- 老…老いを重ねる苦しみ
- 病…病から逃れられない苦しみ
- 死…死という経験したことのないことがおとずれる苦しみ
これらの苦しみからは誰も逃れられません。
それにも関わらず、親鸞聖人にはご恩に感謝するすがたがあらわれたのです。
生まれてきて苦しみの中にグチばかりこぼして人生を終えるのか?
それともご恩や感謝のこころをたまわって人生を終えるのか?
11月28日のご往生
自分でいうのも変じゃけど・・・
11月28日が命日なんじゃよ
『親鸞伝絵』の続きをみていきましょう。
しかうしておなじき
第八日 (午時 )頭北面西 右脇 にふしたまひて、つひに念仏のいきたえおはりぬ。ときに
頽齢 九旬 にみちたまふ。
下旬の第8日というのが11月28日です。
その日の正午ごろ、親鸞聖人は数え年で90歳でご往生なさったとあります。
この11月28日は旧暦による日にちです。
新暦になおすと1月16日ごろになります。
浄土真宗では親鸞聖人のご
各派のご
その際、11月28日にお勤めするご本山と1月16日にお勤めするご本山があります。
これは旧暦でお勤めするか、新暦でお勤めするかの違いということです。
亡くなるときはお釈迦さまのご臨終にならったんじゃ
『親鸞伝絵』には亡くなられた時の体の姿勢も描かれていました。
「
これはお
寝そべったすがたのお釈迦さまの絵や像を見たことがありますでしょうか。
あれがご臨終のようすを表現したものです。
親鸞聖人はそのお釈迦さまのお姿にならって息を引き取られたのでした。
親鸞聖人のご遺体は
その後、お
廟堂 ~大事な教えを伝える場~
親鸞聖人がお亡くなりになられて10年後の
ご遺骨をおさめる
10年後に遺骨がおさめられたお墓所が建てられ、みんなの参詣する場所になっていったんじゃ。
廟堂というのはお墓所のことです。
『親鸞伝絵』より
文永 九年冬のころ、東山 西のふもと、鳥部野 の北、大谷の墳墓 をあらためて、おなじきふもとよりなほ西、吉水 の北のほとりに遺骨を掘り渡して仏閣 をたて、影像 を安 ず。
親鸞聖人は大勢の門弟たちに
各地からお墓参りに来る者もいました。
その方たちが休憩したり、宿泊する場所も必要になったのではないかと想像します。
そこで廟堂として整備されたのでしょう。
本願念仏の道はお遺骨に執着する教えではありません。
しかし、人間には故人をしのぶ手がかりが必要です。
私たちも強く故人を意識することによって思い出されるお姿があります。
お墓参りの時に、故人の言葉がよみがえってくることもあります。
門弟たちも廟堂にお参りすることを通して、親鸞聖人のお姿を偲ばれたことでしょう。
教えてもらったお言葉をあらためてかみしめたことでしょう。
そのような大切な場が廟堂となっていったのだと思います。
廟堂は今日に至るまで大切に伝えられています。
京都市東山区の地には現在も4つの廟堂が
本願寺派大谷本廟
名称 | 龍谷山本願寺 大谷本廟 |
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郵便番号 | 〒605-0846 |
住所 | 京都市東山区五条橋東6丁目514 |
電話番号 | 075-531-4171 |
ホームページ | https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/ |
大谷派大谷祖廟
名称 | 真宗大谷派 大谷祖廟 |
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郵便番号 | 〒605-0071 |
住所 | 京都市東山区円山町477 |
電話番号 | 075-561-0777 |
ホームページ | https://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/otani/ |
興正派霊山本廟
名称 | 興正寺 霊山本廟 |
---|---|
郵便番号 | 〒605-0861 |
住所 | 京都府京都市東山区清閑寺霊山町4 |
電話番号 | 075-561-0940 |
ホームページ | https://www.koshoji.or.jp/ryozen_honbyo_index.php |
佛光寺派佛光寺本廟
名称 | 佛光寺本廟 |
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郵便番号 | 〒605-0051 |
住所 | 京都市東山区粟田口鍛冶町14番地 |
電話番号 | 075-561-2100 |
ホームページ | https://ohaka.bukkoji.or.jp/ |
つないでもらったものを未来へ
このコラムは親鸞聖人ご誕生850年の節目を迎えることを念頭に書き始めました。
仏さまの教えは2500年ほど前のインドでお釈迦さまによって語られました。
その教えが国を超え、時代を超えて現代まで伝わっています。
この間、数々の先人たちが教えを確かめ伝えてくださいました。
親鸞聖人もそのお一人です。
教えを伝えてくださった方は親鸞聖人のように有名な方ばかりではありません。
無名の人も大勢おられたはずです。
というか、ほとんどが無名の方です。
その方々のお名前やご生涯はたずねようがありません。
しかし、お一人が一代伝えるだけでも親鸞聖人のようなご苦労があったのです。
今日まで伝わってくるには私たちの想像を超えたご苦労があったことと思います。
何気なく称える「南無阿弥陀仏」も実はご苦労のつまったお念仏でした。
先人方がつないでくれたからこそ今があるのです。
その思いを次の世代へつないでいくことが大事ではないかと感じています。
つないでもらったバトンを未来へとつないでいく。
そんな大きな役割を背負った今を私たちは生きているような気がするのです。
2023年にお迎えする親鸞聖人ご誕生850年の節目。
それは本願念仏の道を後世へつないでいく大切なご縁でもあると感じています。
合掌
- 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』本願寺出版社 2004年
- 『真宗史料集成 第1巻』同朋舎出版 1974年
- 『現代の聖典 親鸞書簡集 全四十三通』細川行信・村上宗博・足立幸子著 法蔵館 2002年
- 『親鸞』赤松俊秀著 吉川弘文館 2000年 新装版第8刷
- 『親鸞』平松令三著 吉川弘文館 1998年
この記事を書いた人
香川県在住の真宗興正派僧侶。本山布教使。
ゆっくりとやわらかな口調のお話で、お念仏の教えと身近な話題とのつながりがわかりやすいと評判。
病床ではご恩に感謝するお念仏がでてきたんじゃ