こんにちは、千葉憲文です。
2022年3月現在、ロシア軍がウクライナに侵攻しています。
ウクライナの人たちが命を落としています。
前線に送られたロシアの人たちも命を落としています。
たまたま居合わせた多くの国の人たちも命を落としています。
政治状況や国籍、歴史や文化。
さまざまな「違い」を暴力を使って否定することに反対します。
今すぐに深い悲しみの連鎖が止まることを願っています。
この悲しみの多い出来事をきっかけに、われわれは今一度多様性について考えてみることが必要なのかもしれません。
世の中にはさまざまな違いがある
私たちの世の中にはさまざまな「違い」があります。
男女という性別、どの国の国籍であるか。
歴史や文化、人種や年齢(〇〇世代)も「違い」と言えるでしょう。
そして、その違いはさまざまな価値観を生み出してきました。
私たちは異なる価値観のあふれる世界に生きています。
ここで1つ考えたいことが浮かびます。
「さまざまな違いや価値観とどのように向きあったらいいのだろうか?」
違いとの向き合い方です。
周りと同じなら安心?
人間には「周りと同じなら安心」という気持ちがあると思います。
同じような服を着て、同じような音楽を聴いて、同じようなものを食べて。
仲間意識に包まれた安心です。
集団生活を送る上で仲間意識はとても大事なことだと思います。
同じ時間を過ごした仲間と助け合いながら生きていく。
尊敬すべき態度です。
しかし、仲間意識も度が過ぎると「違いを拒絶する」ことになりかねません。
最初に反対を表明した軍事侵攻は違いを認めず力で屈服させる態度です。
暴力で自分の価値観を押しつけようとする姿勢でもあるでしょう。
「違いを認めない」という向き合い方には、深い悲しみや憎しみの萌芽があるようです。
多様性を認める向き合い方
違いとの向き合い方をもう1つ考えてみたいと思います。
それは「多様性を認める」という向き合い方です。
違いを否定するのではなく、世の中のいろんな様相として認めていくあり方です。
違いを違いのままに尊んでいく姿勢と言えるでしょう。
お花の色は1色ではありません。
お花の種類によってさまざまな色を見せてくれます。
同じ種類のお花でもさまざまな色を咲かせます。
いろんな色のお花があるところに、華やいだ気持ちをもらうことがあります。
それと同じように、世の中もいろんな違いがあるからこそ、彩られ楽しくなっていくんだと思います。
『仏説阿弥陀経』というお経典に、
青色の蓮の花は青として輝き、黄色の蓮の花は黄として輝き、赤色の蓮の花は赤として輝き、白色の蓮の花は白として輝き、それぞれに妙に素晴らしい香を放つ。
(筆者意訳『仏説阿弥陀経』より)
と出てきます。
「多様性」という向き合い方は「違いを拒否する、排除する」あり方とは異なります。
違いを違いのままに認め、1人1人が輝く世界を求めようとするあり方でしょう。
1人1人が輝いていれば、当然、みんなが輝いていくことになります。
みんなが輝く世の中の実現。
それは難しいことだと思います。
けれども、多様性を認めるあり方には一筋の光を感じずにはいられません。
「えらばず、きらわず、見捨てず」
浄土真宗のご本尊は「阿弥陀さま」という仏さまです。
阿弥陀さまは違いを気にもかけず、分けへだてなく救う仏さまと言われます。
親鸞聖人はそのおこころを、
えらばず、きらはず、見捨てず
(筆者意訳『唯信鈔文意』より)
と表現されています。
これが阿弥陀さまのおこころです。
それに対して私たち人間の心はどうなっているでしょうか?
「周りと同じなら安心」という気持ちを言い換えると、「仲間と仲間でないものを分けて、異なる考え方を嫌い、拒否する心」と言えるのはないでしょうか。
われわれの心にはそんな心が潜んでいるように思います。
先ほども言いましたが、仲間意識が悪いという話ではありません。
人間にはどうしても「えらび、きらい、見捨てる」心が潜んでいるということです。
先人方はこの「えらび、きらい、見捨てる」心をそのままにはしておられませんでした。
人間の心と正反対の阿弥陀さまのおこころを大事に聞き続けました。
「えらばず、きらわず、見捨てず」
そのおこころに触れることを通して、自分の心の狭さを深く反省なさいました。
「えらばず、きらわず、見捨てず」
そのおこころを大事にすることを通して、違いを否定しない心を尊んでいかれました。
自らの愚かさを見つめ、あるべき姿を見つめていくことによって、どうにかこうにか明るい世の中を目指していったのだと思います。
いま行われている軍事侵攻。
愚かさを見つめることも多様性を尊ぶことも忘れ去られているように見えます。
「違い」を暴力によって消そうとすることのないように。
1人でも多くの命が助かりますように。
そう願ってやみません。
合掌
この記事を書いた人
香川県在住の真宗興正派僧侶。本山布教使。
ゆっくりとやわらかな口調のお話で、お念仏の教えと身近な話題とのつながりがわかりやすいと評判。