ビジネス×仏教のオンラインサロン「十方よし」開講!
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十方よし2024年3月28日古溪光大氏オンラインセミナー

2024年3月28日に開催されたオンラインサロン十方よしのセミナー動画は、書き込みエラーによる消失というトラブルでアーカイブ動画を残すことができませんでした。

ご講師の古溪光大さま、参加者のみなさま、ご迷惑をおかけしまして大変申し訳ございませんでした。

以下に記憶の限りセミナーの内容をテキスト化いたしましたので、お読みいただければと思います。

古溪光大氏セミナー前半部

十方よしのセミナー前半で語っていただいた、古溪さんの活動紹介ご自身の体験や考えの変遷については似た内容の動画をご提供いただきました。

32分24秒あたりから古溪さんのお話となっております。

セミナー後半部

セミナー後半は主宰との対談的な感じで話が進みました。

前半のお話の内容に触れている部分もありますので、動画をご覧いただいてから読み進めていただければと思います。

社会人経験と修行で得たもの

へんも

私自身も大学卒業後、一度一般企業に就職してからお寺の世界に入ったので、お話されてる事がよくわかります。

仕事量や拘束時間に対してもらえる給料の額がどれくらいか?みたいな感覚を身につけられたことは、やはり意味があったなと思いました。

ふるたに

そうですよね。これだけ働いて月に20万しかないの?みたいな。

お寺の仕事だと、葬儀や法事に1回行けば数万円のお金がお寺に入るということもあり、一般的な感覚とはズレがあります。

へんも

社会人の生活→修行生活となるとすべて価値観が違うと思うのですが、修行生活の体験を通してどのように変わりましたか?

ふるたに

修行中は時間も内容もすべて決められたカリキュラムを行う生活になります。

朝3時や4時に起きて、毎日読経、毎日座禅で自由は何一つない世界。

そういう期間を過ごしたことで、今自由に自分の選択ができることの喜びやありがたさに気づきましたね。

へんも

近頃はネット上でいろいろなSNSやニュース記事を読むと、多様性とか個人の自由な選択個人の権利が強く主張されるような場面をよく目にします。

例えば、新しく入った若手社員が会社の慣習やルールに反発するような場面がありますよね。

経営者とか人を使う立場にある人と、新入社員の人たちの感覚は大きく違っていて困る場面もあると思うのですが、そのあたりはどうでしょうか?

ふるたに

そうですよね。

修行のときには「このルールに何の意味があるのか?」と思うこともいろいろありましたが…

修行を終えて振り返ると、自分が疑問を持ったルールにもきちんと意味があったんだと思えることもたくさんありました。

若手社員が本人的には非合理だと思うことでも、上の者からみれば意味のあることだと思いますので、とりあえずその課題を言われたとおりにやってみてほしいですよね。

若手にどうやって伝えればよいと思うか?

へんも

若手に課題を取り組ませるときに、伝え方で取り組む姿勢が変わると思うんですよ。
感情的な納得感を持たせて取り組んでもらうためには、どういうやり方がいいと思いますか?

ふるたに

上司が、こうやり方を強制すると言うよりは、 仏教の大事な言葉を用いて、「うちの会社は◯◯という考えを大事にしていて、その理念に向かって進んでいる」という方向で課題をこなさせることが大事だと思います。

人対人になると、お前はやってないじゃないか?みたいな話になるんですけど、 理念の示す同じ方向に向かう仲間というスタンスで、「理念に沿って課題を一緒にやっていこう」と言うような言い方だったら伝わるのではないかと思います。

そのためには理念をきちんと設定して共有する必要があると思いますね。

へんも

このお話は第1回の蓑口さんのお話と共通する部分がたくさんありますね。

蓑口さんのお話でも会社の理念に沿った「スターバックスらしい人」をどう育てるか?というお話がありましたが、まさに理念を共有して仲間とともに進むという考えを大事にされていました。

ふるたに

そうなんですね。

へんも

スターバックスのビジネス的な成長に必要だと大事にされる考えと、宗教的に人を育てる仕組みから生まれる考えが、同じような着地点になるのはおもしろいなと思います。

年齢や立場を超えて人を動かすにはどうすれば?

へんも

では、どのようにすれば若い世代とか中堅とかベテランが同じ行動原理で動けるのでしょうか?

例えば永平寺の修行でしたら、かなり厳格に修行の方法が決まっていて、年齢に関係なく同じように取り組むと思うのですが、どのような力がはたらいてみんなが同じように取り組めるのでしょうか?

ふるたに

やはり歴史のあるものに対する尊敬の念、それが1番大きいと思います。

永平寺の歴史は何百年と続いていて、その歴史の前では自分の判断のちっぽけさということを痛感します。

ふるたに

みんなが永平寺というものを大事に思っていて、そのあり方に尊敬の気持ちがあり、それは年齢に関係がありません。

ですから、永平寺では80歳ぐらいの老僧もおられますが、その方も若い僧侶と同じように読経や座禅に取り組まれるんですよね。

その姿を見ると、若い自分たちが甘えてたらいけないなという気持ちになります。

ビジネスに仏教は必要?

へんも

前半部では人の話をちゃんと聞くとか、相手を否定しないということを勉強せずともお寺で育った環境のおかげで体が覚えていたという話がありました。

私自身もお寺の人間として、「こういうことはやっちゃいけない」という自分以外の視点とか自分を律する行動規範が自然と備わっているように思います。

例えば「儲かるけど人を幸せにしないのでこの仕事はやらない」とか、そういった判断を育てるにはどうしたらよいと思いますか?

ふるたに

やはりビジネスをする人が宗教的学びを持つことは重要だと思いますね。

ビジネスが成功して成果が伸びてくると、だんだん「自分の力で達成した」と感じるようになる。

ですが、ほとんどの仕事は自分ひとりの力でできることって限られたもので、手伝ってくれる他の人達の協力がないと大きな仕事はできません。

ですから、大きな仕事をしている経営者の方ほど、神事や仏事に関心があったり大切にされている方が多い印象です。

ふるたに

ビジネスに関わる人が宗教的教養を学ぶことが大切という仮説が正しいなら、その逆の宗教者がビジネスの世界を学ぶことも同じように重要ですよね。

お寺の人は宗教の世界だけでなく、一般のビジネスの世界を知る必要があると感じます。

労働時間やノルマ、人間関係のストレスなど、一般の方が生きるうえで感じていることや悩みを知ることが重要だと思いますね。

相互にそういった学びをすることで、仏教が社会の中に生きてくるのではないかと思います。。

行動規範のうすい人にどうやって伝えるべきか?

へんも

類は友を呼ぶといいますか、われわれの周りには比較的倫理観をもって行動できたり、いわゆる道徳的な判断をされる方が多いと思うのですが…

そういった理念をもたない人たちにどうやってその重要性を広めるべきか、なにか思いつくことはありますか?

ふるたに

難しい問題ですよねw

逆にへんもさんに聞いてみたいです。

人を不幸せにするようなやり方はダメなんだということを、ご自身が痛い目をみて気づくことがあればよいですが…

なかなか難しい問題です。

へんも

例えば、目に付くような振る舞いをする人に対して、我々僧侶が痛い目をみさせて気づかせるというのも…ちょっとおかしい感じがありますよね。

こちらが正義の人という感じで、強引に知らしめるというのもちょっと変な感じがあります。

教えを伝えることは大切ですので、何かしらのかたちで伝え続ける必要はあると思いますが。

ふるたに

本人がいろいろな課題に直面したときに学ぶことになると思いますが…

かと言って、押し付けすぎても人は聞いてくれないし、強引に伝えるようなやり方はむしろ心が離れていくので注意しないといけないと思っています。

この布教についてお釈迦様のエピソードをひとつご紹介しますね。

お釈迦様がある村に説法に立ち寄ったときのこと

隣の村が争いばかりをしている。あの村にも行ってお話をしてくださいと村人が伝えた。

だけど、お釈迦さまはその村には説法することを断った。

お釈迦さまとはいえ、求められていないところでいくら話をしても大切なことが伝わらないというエピソード。

ふるたに

聞くべき縁の整っていないところでいくら強引に押し付けてもダメだなという感じはあります。

それよりは、受け手の課題に合わせてお話を伝えていくことが大事だと思いますね。

参加者からの質問

参加者より質問

全国的にお寺から離れる人がいたり、経営自体が危ぶまれるなか、布教は大事なことだと思います。

実際、新興宗教が熱心な布教をして、新たに信者を獲得しているけれども、そういう危機感についてどう感じていますか?

また布教することをどのように考えていますか?

ふるたに

先程は、俺の話を聞けという感じで布教するのはちょっと違うと言ったけれども、もう少し正確に表現すると独善的な教えの押しつけは良くないなと思っているという感じですね。

年齢が高めの僧侶の方に多いような気がしますが、法事などの席で聞き手を置き去りにするような見当違いな話をされる方もおられます。

話の内容は正しくとも、場の雰囲気やタイミングを無視して「お釈迦様の教えはこういうもので〜」という感じで伝えていくのは、なかなか受け止めてもらえないと感じます。

ふるたに

ですから、私のTikTokでは現代の社会課題を切り口にして、聞く人の関心のあることから仏教につなげていくような布教をこころがけています。

ふるたに

SNSにもいろいろあるが、TikTokは新規の人に興味を持ってもらうのにはとても良い方法です。

動画がおすすめ欄にランダムに表示されるので、見ている人はYouTubeと違って自分で検索する必要がありません。

今まで仏教に縁のなかった人にも届けられる仕組みだと思って活用しています。

マスマーケティングよりも口コミへ

ふるたに

布教をしっかりやるとことはとても重要ですが、たくさん広告を出して多くの人に知らせるマスマーケティングのようなやり方はもう時代にフィットしていないような気がします。

ふるたに

実際に、10〜20代の若い世代はSNSに広告が出せるということは大きな資本があるんでしょ?という感じで広告に表示されるような企業を懐疑的に見ています。

デジタルネイティブの若い世代はネット広告などの仕組みが体感的にわかっているので、広告で表示されると自分が売りつけられるターゲットになっていると認識しています。

ふるたに

広告で表示される商品よりも、今は口コミの重要度と信頼度のほうがとても高いです。

信頼できる友達が食べに行っておいしかったという評価や紹介のほうが、行動を決定する情報として信用度が高くなっていると思います。

ふるたに

マスマーケティングに注力するよりは、そういったSNSで展開される口コミの評価を高めるほうが本質的に広めるために重要だと感じますね。

へんも

自分がWEBメディアを運営したりしていると、ご指摘のようなことをうっすら感じていましたが、こうやって言葉で聞かせてもらえると世代間の感覚の違いや温度感をはっきり感じることができました。

ビジネス的な感性をもつ僧侶はどのくらいいる?

参加者より質問

実際、ビジネス的な感性をお持ちのかたや、アクティブに仏教を伝えようと動いている方は僧侶全体のどのぐらいおられるのでしょうか?

ふるたに

正確にはわかりませんが10%〜20%ぐらいでしょうか?

参加者より質問

仏教は日本の精神性のベースになっていると思いますし、私自身も大事だと思っていますがどんどん関心が薄れているように感じる現状を打破するには何が重要だと思いますか?

ふるたに

本当は仏教界がもっと取り組んでいかなければならないとは思いますが、あまりにも多くのしがらみがあって動けない構造的な問題があります。

そういった中で、年齢で区切るわけではありませんが、50代より上の僧侶たちや仏教界の構造を変化させることは難しいでしょうね。

ふるたに

ですから、仏教界の方を変えるのは不可能だと思いますので、民間の方たちの力がとても重要だと考えています。

経営者層の方が仏教の考え方を学んで、社員や関わる人たちに影響を与えていくことが仏教を広く伝えるために重要だという気がします。

というかそれしか方法がないと思っています。

そのために、私自身も起業して社会と関わろうとしているという状況です。

さいごに

へんも

ここまで貴重なお話をありがとうございました。

最後にみなさんにお伝えしたいことや宣伝したいことはございますか?

ふるたに

葬儀や法事を通して、一般の方に人生の意義を感じてもらいたいという想いで、葬祭カウンセラー認定実用講座や縁空(エンク)塾などを行っています。

ぜひこちらの活動もご覧いただけたら嬉しいです。

古溪さんの活動はこちらから